私が20代半ばに病院清掃の世界に入りまだ間もない頃の話です。
あるおばあさんの病室の清掃を任されることになりました。
毎日自分なりにきれいに清掃したつもりでいましたが、いま思えば、部屋のホコリに病気を引き起こすウイルスが含まれることや、ひとがよく触る場所は病気の感染リスクが高いことをきちんと意識し、そのための対策まで考えた清掃とは言えないものでした。
ある日、いつものように清掃業務でおばあさんの病室を訪れると、ベッドは空っぽになっていました。
後日、おばあさんの娘さんから「松本君、毎日お掃除してくれてどうもありがどう。いままでおせわになりました。」と一通のお手紙をいただきました。あとからおばあさんが「MRSA感染症」で亡くなったと聞き愕然としました。
MRSAは、人の鼻や口などに普通に存在する黄色ブドウ球菌の一種です。ただし、一般的な黄色ブドウ球菌との大きな違いは、細菌を殺すための薬(抗生物質)に対する耐性があるということです。健康な人であればその免疫力によって駆除することができますが、免疫力が極端に落ちた入院患者の方にとって、自力で駆除することも薬に頼ることもできず、命取りになるケースもめずらしくありません。
この細菌は、空気や床、保菌者が触れたドアノブ、手すりなどを介して感染が広がっていきます。つまり、清掃で感染対策を徹底しなかったために、おばあさんはなくなってしまったのです。
私はこの経験で、プロでありながら清掃を軽く考えていた自分に腹が立ちました。そして、それからは、どうしたら患者さんがより衛生的に、より快適に過ごせるかを考えながら清掃に取り組むようになりました。
そして辿り着いたのは「床ばかり掃除していても、病気の感染リスクは低くならない」という事実でした。人の動線や行動バターンによって病気の元となる汚れがどこにどのように集まり感染源になるのかを把握しその汚れを正しく取り除く方法が必要だったのです。
これは家庭の掃除にも通ずる大原則です。すべての人が健康に生活するための、無駄を省いた質の高い掃除術の発見でした。
いまでは、天国のおばあさんもニッコリ笑ってくれているといいなと思います。